わたしは夢判断を読んでよかったのだろうか。

この秋、見たい映画が映画館でたくさん公開されているというのに長年培った引きこもり精神が外出の邪魔をする・・・こんばんはせおりです。

最近は生活のための仕事をメインに新しい仕事に向けて鋭意準備中・・・でした。

あとめっちゃ本読んでた。アニメもたくさん見た。

みなさん元気でしたか?

 

それはそれとして、今回のブログは哲学的にいってみよう。テーマは「ゆめ」!!

***注意:いやらしいことは何も書きませんが、以下、性欲とか性行為とか性器とか連呼します。いやらしいことは、書きません!

 

 

 

 

 

夜に見る「夢」が好きな人は結構いると思うんだけど・・・

わたしも大好きで、毎晩楽しみに眠りに就くんですけど・・・

好きが過ぎて、この「夢」の正体を知りたくなった私は、

ジークムント・フロイトの夢判断や、その他、夢に関する心理学的アプローチをした文献を読んだのです。

もちろん、とてもとてもとても難しいのでメモを取りながら・・・それでも完全には理解できてないんだけど・・・学者先生の著作は難しいよね・・・

 

そもそも、具体的に何を知りたくてそれら文献を読み始めたのかというと、

1)夢って不思議なもの?予知とか占いとかできるの?

2)夢ってなんのためにあるの

3)明晰夢を見てみたい!

だったのですが、残念ながらかなり冷静な分析がされていて、

読めば読むほど不思議なものからは遠ざかっていき、少々寂しい気持ちになりました。基本的にオカルトが好きだから・・・

 

1)については占いとはそもそも統計学であるから、夢を素材としてあつめていけば占いをすることは可能かもしれないというようなことだった

「夢は人間の欲求を満たすために現れる(願望充足)」という性質から、本人が一番欲しているものを明らかにすることは不可能ではないと。

 

2)については、結論のひとつして、「夢は眠りの守護者であって、妨害者ではない」ということが書かれていた。

たとえば、ベッドから落ちてしまったときに、空から落下する夢を見たり。暴風雨がうるさい夜、ライブ会場など音が大きい場所にいる夢を見たり。

夢は錯覚をみせる、それはそのまま安心して寝ていていいですよ〜という脳のはたらきかけであると。

(それってつまり夢は体のささいな損傷よりも脳の休息を優先するってことなのかな。でもあまり痛かったら起きちゃうよね。脳と体の戦い・・・?脳と脳の別部門の戦い・・・?)

 

 

さらにフロイトの「夢判断」は夢の正体を、「無意味なものではなく心のための高次な作用」とし、心理学的境地から次々に明らかにしていく。

夢の正体その1:補充夢:現実世界で満たされることのない感情を補うものとしての夢

さて、夢にみるほとんどのものは性欲に関するメタファーらしい。

箱、暖炉、穴、容器、船、部屋など、そういうのは全部女体。

蛇や猫、魚は男性器。

右は正義で左が罪。

子供と遊ぶ夢は自慰行為、虫に刺されるのは妊娠、車に轢かれるのは性行為、狭いところに入るのも性行為。

橋や森に覆われた山、親戚の人たちは性器。

小動物や毒虫は、かつて死ねばいいのにと思ってしまった自分の子供や兄弟。

既視感を覚える風景は母親の性器。

それが本当なら、人間の欲望って性欲が大半を占めてるのかな〜・・・よくわからないけど・・・あらゆる細々とした欲望がすべて性欲につながっていると言われれば理解はできるかもしれない・・・この物欲も、この承認欲求も、愛されたいのも、夢を叶えたいのも、食欲も睡眠欲も、すべては人間の種としての単純な性欲に・・・つながっているの・・・か?

 

夢の正体その2:超記憶:もう覚えてもいないようなことを材料にして夢が見せてくる記憶の数々

夢の正体その3:隠蔽記憶:幼児健忘期で忘れた体験が他の記憶で現れること。想起すると不安になるために何か別の姿を借りて現れる。

その他、気になった夢に関する項目

A)人が夢を覚えていられないのは、人の脳は脈絡のないものを覚えていられないから。

B)夢は「願望充足」という役割があるがそれは必ずしも近々の願望とは限らない。昔願ったことを充足させることもある。

C)夢の中の感情は顕在内容に属さず、潜在内容に属するので、歪曲を受けた夢の表層を見ても情緒内容自体は歪曲を受けない。例えば好きな人が死ぬ夢を見て少しも悲しくなかったら、歪められているのは「好きな人が死んだ」という部分で、悲しくないという部分は本物の感情。だからそういう夢を見たときに、自分を冷たい人間とか、ほんとはあの人のこと好きじゃないのかなとか落ち込まなくていい。

D)夢の作業は、会話を新たに創造したりはしない。思考もしない。実際に行われた会話の切れ端を繋ぎあわせる再現だけをする。

 

 

で、ここからが、ブログのタイトルにつながる話なんだけど・・・

こうやって断片的にでも、夢について理解していくとさ・・・

これって知っていいことなの?って思うんだよね・・・

だってせっかく夢というものが脳の高次な機能として備わっているのに・・・

夢がわたしの心と体のためにせっかく・・・

「錯覚させたり」「気持ちよくさせたり」「願いを叶えてくれたり」「悪夢を見せたり」

一生懸命に働いてくれているのにさ、これらの本を読んで以来私はなんだか・・・

夢の中でAさんと一緒に歩いていても、「表層的には歪められてAさんだけど、ほんとはBさんなんだよね知ってる〜」とか、

「ただお魚が泳いでるのをみてこんなにも悲しい、これは魚じゃなくて何か別のものなんだなきっと」とか、夢の中で考えてしまう。

つまり「夢の錯覚」の正体をその場で見抜くような夢を見るようになったんだよね。

それ自体が上記の(D)である、夢の中では新たに思考しない、現実で思考したものを夢に見ているだけ、であるなら問題ないのかもだけど。

なんだけど・・・

私は・・・というか人類は「夢判断」を読んで大丈夫なのだろうか。

私の見ている夢は、ちゃんと今までどおり、私の脳のためになっているのだろうか、脳は休息できているのだろうか。

眠りはやけに浅くなってないか。

そのせいで肌が荒れたりしないだろうか・・・

30歳からは切実な問題だ・・・

そして・・・私の心は壊れてしまわないか。

 

 

少し不安なのだが・・・

それでもやっぱり夢に関する気持ちは変わらないのであった・・・今夜も素敵な夢を見たいものです。

いつもどおりまとまりのない文になってしまったけど、少しでもたのしく思ってくれたらうれしい。

おやすみなさい!